80年代バイク青春記にも登場します、上野バイク街について、触れておきたいと思います。
バイクの購入はもちろんのこと、ヘルメットや、個人売買で手に入れたマフラーを交換する際の、ガスケットや、立ちごけで折れてしまうレバー、ジャケット、ブーツ、グローブなども揃えました。
懐かしさ満載です!
第1章:昭和〜平成初期、空前の熱気に包まれた「上野バイク街」のリアル
かつて、東京・上野の「昭和通り」沿い(上野7丁目から入谷・北上野周辺)は、日本全国のライダーにとって紛れもない「聖地」でした。
週末になれば、関東近郊はもちろん、遠方は関西や東北ナンバーのバイクまでが吸い寄せられるように集結。昭和通りの両脇には、数十台・数百台というバイクがずらりと路肩や歩道を埋め尽くし、ヘルメットを抱えた若者やライダーたちで歩道が歩けないほどの熱気に溢れていたのです。
画像はイメージです
①「右を見ても左を見てもコーリン」の異次元空間
その象徴が、言わずと知れた「光輪モータース(コーリン)」。 単に1つの大きなビルがあるのではなく、「ヘルメット館」「ウエア館」「パーツ館」「中古車館」「オフロード館」「外車館」…と、数十メートルおきにジャンル別の専門館が細かく分棟されて立ち並んでいました。 昭和通りを歩けば、どこを向いてもあの黄色と黒の「CORIN」の看板が視界に入り、まるで街全体がコーリンのテーマパークのよう。店内に入れば、天井まで届きそうな棚にヘルメットやジャケットがぎっしり積み上げられ、独特の革とオイルの匂いが充満していました。
②「上野に行けば何でも揃う」宝探し感
コーリンだけでなく、SP忠男、SCS、アスカモータース、ハコーオートをはじめ、中小のパーツショップや整備工場、中古車店が約70〜80店舗もひしめき合っていました。 メーカー廃盤になったレアパーツ、海外直輸入品、激安のアウトレット用品、怪しい(?)ノベルティグッズまで、「上野で探して無ければ日本中どこにも無い」と言われるほどの品揃え。店頭で店員と値切り交渉をしたり、見知らぬライダー同士で「そのマフラーどこの?」と会話が始まるなど、ただ歩くだけでワクワクする「大人の秘密基地」だったのです。
第2章:なぜ「聖地」は消えたのか?〜知られざる衰退の真実と重なった包囲網〜
あれほど熱狂的だった上野バイク街が、1990年代後半から2000年代にかけて急激に姿を消していった背景には、単なる「ブームの終わり」だけではない、ライダーを追い詰めた複数の“包囲網”がありました。
① HY戦争の終息と「三無運動」による若者離れ
80年代のレーサーレプリカブームを牽引したホンダ・ヤマハの「HY戦争」が落ち着くと、バイク市場自体が急速に成熟・縮小へ向かいました。さらに、高校などでの「三無運動(乗らせない・取らせない・買わせない)」の徹底や、原付ヘルメット着用義務化(1986年〜)により、次世代の若者ライダーという「血」が途絶えていったのです。
②【第一の刺客】国道4号・上り「首都高入口手前」の警察検問
上野を目指すカスタム好きライダーにとって最大の関門だったのが、国道4号線(昭和通り)上りの首都高上野入口手前や入谷周辺で頻発していた警察の一斉検問・取締りです。 マフラーの爆音、ナンバーの角度、ハンドルの変更、ウインカーの大きさなど、当時の警察は「上野に集まるバイク=違法改造の宝庫」と言わんばかりに待ち構えていました。パーツを買って意気揚々と帰る途中に捕まるライダーも多く、「上野=警察の目が厳しくてヒヤヒヤする街」というプレッシャーがライダーの足を遠のかせる心理的要因になりました。
③【決定打】2006年「道路交通法改正」と放置駐車の厳罰化
上野バイク街にとどめを刺したのが、2006年6月の道交法改正です。緑の制服を着た「駐車監視員」が登場し、バイクも例外なくわずか数分の停車で即ステッカーを貼られる時代に突入しました。 それまでの上野の最大の魅力は「自分の愛車でサッと乗り付け、店頭に横付けして買い物を楽しむ」こと。しかし、周辺にバイク専用の大型駐車場が整備されないまま取締りだけが激化したため、ヘルメット試着やパーツ選びどころではなくなってしまったのです。
④ 郊外型メガショップとインターネットの台頭
「駐禁を切られるリスク」と「警察の検問」に嫌気がさしたライダーたちの受け皿となったのが、郊外の幹線道路沿いに相次いで誕生した「2りんかん」「ライコランド」「ナップス」などの大型量販店でした。広大な無料駐車場を備え、クルマでもバイクでも気軽に行ける郊外店へ客足が一気に流出。 さらにネット通販やヤフオクの普及が「わざわざ上野まで足を運ぶ理由」を完全に無くし、2008年の光輪モータース破産(負債約161億円)によって、上野バイク街の時代は完全に幕を下ろしました。
…と、ここまでは真面目な歴史の話。しかし、平成後半の上野には、まだ“昭和のゆるさ”を残した凄まじい店があったのです
第3章:平成〜現代に残る「上野のリアル」と私の実体験
大半の店舗が消えていく中、今も営業を続ける老舗(SCSやハコーオートなど)の存在。
【実録エピソード】10年ほど前、ハコーオートで起きた珍事件
初来店なのに商談途中で店長が「銀行行ってくる」と離脱、なぜか自分が店番をすることに(笑)。
店長の人柄は抜群に良いものの、納車されたバイクはまさかの状態で「30万円ドブに捨てた」苦い(?)思い出。
3輪バイクのタイヤ交換を黙々とこなす店長の姿と、どこか昭和の風情を残す大らかな空気感。
第4章:消えた街並みと、今も胸に残るライダーたちの「青春」
30万円の勉強代も、今となっては酒の肴になる最高の笑い話。
上野バイク街は姿を変えたけれど、当時の熱気や個人店の人間味は、今も私たちの記憶の中で生き続けている。
おわり
【80年代バイク青春記】庭に400ccが鎮座!?「捨ててきなさい!」から始まったVF400FとOVER集合管の日々 をご覧になりたい方はこちらへ



.jpg)
.jpg)

.jpg)